対談

秦雅文 × 和田冨郎

絵本太閤記 十段目「尼ケ崎閑居の場」光秀の母、皐月を演じる

 

 19年前に太閤記十段目をやった時、僕は久吉で、冨郎さんが皐月でした。今度、僕が皐月をやることになったんです。初のお婆役をやるんですよ。

 

和田 光秀の⺟の皐月は、いちばん権⼒を持っとるわけや。で、皐月は光秀が⾃分の主⼈の春長に謀反をこいとるもんで、⾃分の⼦供がそういったことをやったことを恥じて尼崎に⾏って閑居しとるわけや。そこへ光秀の奥さんの操が嫁の初菊を連れて、皐⽉の⾒舞いに来る。そのときにたまたま久吉が辿ってきて、閑居しとるところで宿を頼むんや。そこに光秀が久吉の跡を追ってくる。そしてそこでみんな⼀緒になる。

皐⽉ってのは光秀の⺟親であり、台詞も少ないけど、いちばん貫禄がなけりゃいかんわ。

この⼗段⽬ってのは、うまく筋が作ってあるわ。確か寛政年間に三⼈の合作で作られたと思ったな。

 

 「もっそうはんの切り米も」という冨郎さんの台詞が印象的で、今でも耳に残ってます。ただその意味がわかってないですけどね。※注①

 

和田 ⽣活に関係した禄⾼とかそういうことじゃないかな。真⾯⽬に⽣きとる暮らしのようなそんな意味合いやないかな。

俺は名古屋の会社におるときに⾃分たちでグループを作って演劇をやっとったので、加⼦⺟へ来て⻘年団で演劇部に⼊って、そのときに時代もんの台本で婆さんの役があって、みんな20歳そこそこやったので、そのとき23歳くらいやった俺に、清三さんが「あんたやってくれ」って⾔って。それがうまくあたったもんで、それからもうずーっと婆ばっかりや。その後、歌舞伎をやっても婆ばっかりで、明治座のお婆になってもうた。

昭和48年に今の歌舞伎を始めた頃、初めて皐⽉をやったときに、歌舞伎の好きな⼈がおって、俺の皐⽉を⾒て「皐月は貫禄のあるおばあさんやで、うちかけを直すにもスーッとうまく。」なんて言うんや。俺は普通の演劇でやるように、ささっとやる⾵が⾝についとるで、「あの皐⽉はあらもう貫禄がない」って⾔われてのう。

清三さんにも「お前はもうちょっとゆっくり」と言われたわ。俺はどうもこういう型にはまったのは得⼿やなかった。

光秀に竹やりで突かれて苦しんどる時に台詞を忘れて、どうしようと思うと、もう余計に頭が真っ⽩になってまって、わずかな時間やけどそれが⻑いじゃわ。ちょうどいい具合に苦しんどるが、本当は台詞に苦しんどった。そしたら団升先生が裏の襖の⽅から台詞をついでくれた。後で「いやーあの時に、いつまで苦しんどるかと思った」と団升先⽣と笑ったわ。

あと、あんたは背が⾼いで、皐⽉をやった場合に皐⽉だけ⾼いと周りが死んでまうで。

 

 そうですよね。でも背中まるめすぎたり、前かがみにすると貫禄がなくなりますよね。

 

和田 あれは、腰を落とすっていうふうにした⽅がいいわ。

下々の婆さんならいいけど、皐⽉は前かがみになりすぎては貫禄がない。

そりゃまあ、⼀緒に並んで歩くわけやないから別にどうってことないで。伸びんようにして普通に座ればいいわ。

 

 皐月は自分が刺されると思って最初からあの部屋にいるんですかね?

 

和田 久吉が⾝を隠して宿を頼んできたのを光秀を追ってきたとわかっていた。もしもの時には⾃分が⾝代わりになろうと。

特に皐⽉は⽵槍でつかれてから余計に、我が⼦を諌める態度にならにゃいかん。苦しいながらもシシをつくようなもので主⼈を刺すってことを叱って⾔って聞かせる。それを品よくやるのが難しいところや。※注②

 

 品って難しいですよね。そういえば今回、僕も団女先生に品のある皐月でがんばってくださいって言われました。やっぱりそれを求められてるんですね。台詞だけ頑張ってもダメってことですね。

 

和田 そうそう。役の深さっていうか、幅。どんな役をやっても幅のある演技っていうのが重要やよ。

「心中宵庚申」八百屋の場に出てくるお婆なんかでも、育ちはええが、落ちぶれて⼋百屋の旦那に⾒初められて⼋百屋に⼊ったわけや。で、ダダいじわるのそれだけでなしに、全くそういったちょっと品のええとこを出す。それはうまく役がらを把握して初めて出るわけで。結局そういう筋を把握せとらんとうまくできんじゃわ。

団升先⽣もよく⾔っとったけど、これは単にお笑いやないで、品よくやってくださいよと。懇々と⾔われたわ。

八百屋のお婆は俺の当たり役やったのお。岐阜県から歌舞伎で表彰されたときに、知事さんに「ああ、あんた⼋百屋の婆さん。写真撮りましょ!」って⾔われて。細野くんと⼀緒に知事さんと写真撮ったわ。

 

 「ああ、あの役の!」なんて言われたことないもんなー。すごいですね。

細野さんといえば冨郎さんとの息のあった芝居をいつも楽しく見てました。

 

和田 そうや。アドリブ的な事をやって、みんなを引きつけようとして、わざと本当に台詞に詰まったふりをしてポッと「汽車ポッポ」と⾔ってしまうとか。でも偶然に見えんと⾯⽩味がないでの。細野くんと俺と二人で秘密の猛練習したわ。

 

 細野さんは鮨屋の爺さんが手拭いを八巻にして腰に刀さそうとして刺さらん感じもうまかったなあ。

 

和田 そうよ。焦ってさせん演技をしとると団升先⽣が本当にうまく刺せんの

やと思って⼿伝いにきたわ。

 

 何年か前にその役をやった

んですよ。そうしたらその通りが台本にあって振り付けだったと知ってびっくりしたんですよ。あれは細野さんのアドリブだと思ってたから。あらためてすごいと思った。あと熊谷陣屋の弥陀六も鎧櫃を重そうに背負ってたよね。うまかった。

 

和田 弥陀六の重い鎧櫃を背負ってきて、置いたらちょっとゆがんでたんや。喜與次さが横に座っとって、あの⼈は性格でまっすぐにしようと思って、⼿の先ででショッと直してまった。こりゃ、細野くんの重そうに運んできた演技は済んでまった。喜與次さも台本を把握せとらんかったっていうことやな。そうすりゃ細野くんに合わせた演技やったのにな。

 

 難しいけどそこが地歌舞伎の面白いとこですね。

 

 

記事提供:かしも通信

入館料

団体(10名以上):300円

個人:無料

有料ガイド:500円〜

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中津川市加子母(かしも)は檜(ひのき)と地歌舞伎の郷。かしも明治座は明治27年にできた、木造の芝居小屋。

岐阜県指定有形民俗文化財 かしも明治座

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