明治座大歌舞伎
十八代目中村勘三郎襲名披露公演
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勘三郎写真
2006年7月3日
朝8時過ぎから、たくさんのお客さんが明治座前の道路に集まっています。そう、役者の小屋入りを見る為です。
9時近くから、マイクロバスが到着します。お弟子さんや、お囃子の人達。役者さんも次々に明治座に到着し「ちょっとあれ、七之助だよ!」なんて 歓声があがる。10時半開場、11時開演なのに、勘三郎さんはなかなか現われない。一つ目のお芝居には出ないから、開場してから来るのかな?と思った矢先の10時20分過ぎ、車から出てきたのは、キャップをかぶり茶色のカジュアルな上着を着た、勘三郎さん。たくさんの人が声をかけるのに答えながら、ずんずんと明治座に入っていく。kanzaburophoto入口の板割り看板を熱心に見て「へぇ〜こんな人も来てるんだ」と。開場前の薄明かりの平場に入ると、見渡しながら仮花道を通り、舞台へ。

「こんなところあるんですね。日本最古?ここが一番?へぇ〜明治27年なんだ。よくとってあるね。すばらしいよ。」興味津々の様子で質問をしながら、自分でどんどん進んでいく。その目は、明治座の細部までを瞬時にインプットして、舞台での演技を組み立てているように思えた。鳥屋口の幕を自分で開けて、舞台裏へ。周りの人に挨拶をしながら、早足で進む。奈落に入り、柱を触りながらスッポンへ。「へぇ、自分の足でのぼっていくんだ。それでもできるんだね。(現代の劇場は電動のせり上がりがある)昔の人の知恵だよね。」奈落の小さい出口に頭をぶつけて「いてっ!」と笑った勘三郎さん。明治座との初対面は、興奮と親しみのあふれたあたたかい出合いでした。

かしも通信は勘三郎さんの取材に成功
かしも通信は明治座にとっても加子母にも貴重なこの機会をのがすまいと、取材を計画するもさすがの大物にどうしても許可がでない。しかし、そこへ救世主出現です。小田孝治さんの協力によって取材が実現しました。勘三郎 勘三郎さんはかしも通信特別号を熱心に読んで下さり記事に出ていた加子母歌舞伎保存会のじいちゃん達と楽屋でお話もしていただきました。
なかむらや!十八代目!
掛け声飛ぶ大喝采の中、幕は開き…
〈勘三郎 口上〉
本日は、皆様方の御機嫌麗しい御尊顔を拝し奉り、恐悦至極に存じ上げ奉ります。(中略)いずれも様方、御贔屓様方のお引き立てに与りまして、ここに、江戸猿技、中村勘三郎の名跡を十八代目として襲名させていただく運びと相成りましてござります。
(中略)わたくしは、御当地明治座は初お目見えでございます。こうした昔ながらの小屋をまわりたいというわたくしの希望をお聞き入れていただきまして、まわらせていただいておりまして、(中略)この劇場はまた、隣がたんぼでございまして(笑)眺めておりましたが、芝居というのは「芝」に「居る」と書きまして、ほんとに「芝居」だなぁと思いまして(笑)地元の方がずっと大切に維持なさって、しかも、こういうすばらしい空間の中で、今でも芝居をやり続けていらっしゃることは本当に嬉しいことでありますし、有り難いことだと思っております。
わたくし、昨日下呂温泉の方に泊まらせていただき、(今朝)出前があまりとれないので(加子母の)サークルKで。(笑)「勘三郎さま、歓迎」と書いてあったので、恥ずかしい。(爆笑)そうやって地元の方とふれあうことはとても大切だと思いますし、また、ここでしかできないような、ここが一番合うような芝居の狂言立てでもございます。(中略)これからご覧に入れます義経千本桜、これは、ほんとうにぴったりです。そしてびっくりしたことがございまして、この、地芝居の方々、先ほど楽屋にみえたんでございますけれど、今年の秋でございますね、ここで鮨屋を出すそうでございます。ライバルでございます(笑)。つたない芸ではありますが、一生懸命務めます。
十八代目中村勘三郎、行く末永くお見捨てなく、御贔屓お引き立てのほど、お願いを申し上げまするしだいにございます。

このあと、片岡市蔵、片岡亀蔵、中村扇雀、坂東弥十郎、坂東新悟、中村七之助と、口上は続きました。

               インタビュー2