2006 小田 孝治/歌舞伎評論家
歌舞伎と木
四百年の歴史をもつ歌舞伎には数千といわれる狂言(演目)があるといわれる。その舞台にはかならずといっていいほど老松、銀杏、桜、梅などの書割(絵)や大道具が飾られる。木たちがかもし出す四季折々の風情が芝居や舞踊に欠かせない。
『義経千本桜』には「木の実」という場があって舞台に椎の木が屹立する。『仮名手本忠臣蔵』の「大序」には銀杏の大木。『良弁杉由来』という杉が主人公になった作品もある。
高僧の良弁上人が子どものころ、鷲にさらわれ、孤児になった過去があった。ある日、老いた女性が東大寺の大杉のもとで良弁上人に出会い、話しているうち上人の母であることがわかる。鷲にさらわれた上人は、この大杉の板の上に落とされたという。杉が上人を育てたといえる。
古来、日本人は樹木を大事にしてきた。加子母には千年の樹齢をもつご神木の大杉が今も敬われている。また、二十年ごとの伊勢神宮の遷宮には加子母の桧を遠い昔から供出してきた。加子母には木の文化が匂い立つ。桧は常緑だが、栗や欅、朴などの落葉広葉樹は春の新緑、秋の紅葉と四季の移ろいを際だたせてくれる。
当然、江戸文化を代表する歌舞伎の役者たちも木に敏感だった。神様に奉納する芸能だから当然である。木は神様の依代(よりしろ)となるくらいだから木の風情を五感で感じ取る努力を重ねている。
名優の故中村歌右衛門は自宅の雑木林に入ることを楽しみ、手植えの枝垂桜を愛した。歌右衛門ならではといわれた舞踊の大曲『娘道成寺』は舞台いっぱいに桜が飾られている。芽吹き、新緑、紅葉などの変化を五感で感じ取ることが役者としての感性を磨くことにつながるのだろう。
加子母は木の文化が息づいている。明治座には加子母の樹木がふんだんに使われ、ビルの中におさまった大都会の劇場にはない温もりを与えている。音の響きもよく、歌舞伎だけでなくピアノやバイオリンなどのコンサートの響きも優しく奏でられる。
明治座は、戦後の日本で切り捨てられてきた、かけがえのない木の文化がただよう文化遺産である。
小田孝治/ジャーナリスト・歌舞伎評論家